ROOTS

今のわたしをこのわたしたらしめたそのルーツはどこだろう?と考えた時、浮かんだのは従兄弟の言葉。
多感な中学生時代によく、高校時代サッカー漬けから一念発起して入った大学を出奔し、ソマリアから帰国するたびに遊びに来ては、ダーッと息つく暇もなく話してはまた旅立ってゆく、という従兄弟の話しは余りにも衝撃過ぎて当時のわたしはハトが豆鉄砲状態。でもそのハテナの種はわたしの中でしっかり育っていて、当時本当に影響を受けていたんだな、と今更ながら。
「現場に行かないと真実は見えてこない」と常々言っていた父と、同じように語られるノンフィクションの事実のみを語る従兄弟の言葉には本当に重みがあった。 当時父や従兄弟の話してくれる現場の話しは、マスコミの公開する情報どこにも載ってはいず、断片さえも拾うことが出来なかった。 わたしの中の、何事においても「現場主義」であることの基本姿勢はここが起点と言っていいだろう。
長い海外活動から帰国してからようやくフィールドを日本にと定め動き出した矢先の2006年、脳梗塞で倒れ今も尚ハビリ中の従兄弟は今、自分で語ることは出来ないけれど、その想いを受けた者が伝えることは出来るとも。
受け継いだ大切なものは、出来得る限りの情熱を持って伝えてゆく義務と責務があるとも。
なぜならそれは、ここに生きているすべての人の財産でもあるから。

次の世代に何を残せるか・・・まずは伝える一歩を踏み出そう

志交流勉強会 「おかざき塾」HPより転載

国際協力の現場で学んだ「いのち」柴田久史さん

プロフィール:岡崎市戸崎町出身。日本国際ボランティアセンターの企画調整部長として世界各地に滞在し、難民や貧困への救済活動を行ってきた。愛・地球博の地球市民村コーディネータ。2006年、脳出血に倒れ、現在療養中。
好きな言葉、座右の銘:-
所在地:岡崎市竜美南
リンク:-
収録日:2004年9月26日

※本稿は、2004年9月に長誉館・志葉会で行われた講演内容をもとに作成しました

カンボジアへの旅立ち

1970年代後半、カンボジアのポル・ポト政権の圧政によって、100万人規模の難民が発生しました。
国際的な問題になる中で、「日本は、お金は出すが人は出さない」と非難が高まり、
当時の若者が「自分たちで何とかしよう」とカンボジアに向かいました。
千人以上いたでしょうか。私も当時大学生で旅立ちました。

「いのち」は平等か

カンボジアでは生涯忘れられない体験をしました。
当時の私は、人の命は世界平等であると信じていました。
ところがここでは、助かる見込みのある患者しか治療しません。
たとえ生きていても、助からないと判断された患者は見放されます。
いわゆる「スクリーニング(患者選別)」です。
毎日、親子が引き離されていく姿を見続けて、大変ショックを受けました。

いのちは社会から切り離せません。
カンボジアで暮らしていれば、カンボジアの医療しか受けられないのです。
日本に連れてきて治療するようなことは、基本的にやってはいけない。
もしそうした医療を行えば、一人何百万円とかかります。
何百万円あれば、一体どれほど多くの命を助けられることか。
助からない人には治療をしないことが、カンボジアでは最善の医療でした。
人の命はその地域とつながっているのです。

利権渦巻く中で

ソマリアでは農業支援が目的で、何ヶ月も砂嵐と格闘しながら灌漑設備を敷設しました。
砂漠を緑化することは、技術的に可能になってきています。
ところが、井戸を掘れば所有権が生まれて利権が生じ、新たな問題が起きるのです。
実はそうした社会的問題の方が解決は難しい。
事前に地元の長老や行政官に話をつけてから活動を始めなければならないところを、
先走って後で大変な苦労をしたことがあります。

いのちの役割を考える

ソマリアで難民救援をし始めるとすぐに難民が増え、わずかの間に何万人規模になってしまいました。
どう解決すればよいか全く分からず、あるとき難民の長老のところへ相談に行きました。
すると長老は、「外国人で私たちに相談をしに来たのは、お前が初めてだ」と言われます。
多くの救援隊は難民に声をかけることなく、自己判断で活動していたのです。

そしてよく伺ってみると、彼ら自身が何かの役に立ちたいと思っていることが分かってきました。
私たちは都合よく、「援助する側」と「援助される側」という関係性をつくっていたのです。

後にマザーテレサの言葉で、「人の一番の不幸は、自らは役に立たない人間だと思ってしまうときである」と聞きました。
私はこの難民救援で、人として本当に大切なことを学ばせていただきました。
長老たちは、自分たちが得た救援物資を、まだ行き届いていない人たちに分け始めていました。

戦争、飢餓、・・・、世界の最前線から

湾岸戦争の現場にいました。
今の戦争は、無差別殺戮はしないと発表します。
ところが実際には、人の生活を支える重要なインフラを狙っています。
発電施設や給水施設といった町の拠点を壊すのです。
そうすると、病院では治療もできずに皆が死んでいく。
人を殺さないと言いながら、人を支える機能を壊して殺戮を行っているのです。

現在では、宇宙からの監視情報と、各地の家畜の売買価格の情報で、世界中の飢餓の状況がシステム的に分かります。
しかし、飢餓を解決しようと思うか否かは、政治的な判断です。
アフリカで起きていることなど関係ないと思えば、何のアクションも取らないだけです。
今や世界は繋がっているのですが、どうアクションを取るかは、政治家を含めた私たち次第なのです。岡崎がつくる世界平和への道

歴史や文化を知るということ

南アフリカ共和国では、1990年代にアパルトヘイトが撤廃されました。
しかしその後も、白人を見るだけで頭を下げてしまう黒人の姿があります。
心がまだ、解放されていないのです。

様々な国や地域で救援活動をする際、学校や病院を建てること以上に大切なことがあります。
それは、内面を変え、自信をつけてあげることです。
そのためには何をすればよいか。
彼ら自身の歴史を振り返ることです。
私たちにはこれほど素晴らしい伝統文化があったのだと、誇りを取り戻してもらうのです。
救援活動は、こうした歴史教育を行った地域だけがうまくいきました。
なぜなら、自立した生活を目指す過程では必ず困難が付きまといますが、
そうした時に「精神的に立ち戻れる場所」ができるからです。
この確信を得てから、私の日本に対する見方が変わりました。

幸せの原点

私は日本が大嫌いでした。
もっと言えば、岡崎、そして家族が嫌いでした。
大学も卒業せずに海外へ行きましたから、両親とは勘当同然の状態でした。今
思えば、両親の思いがよくわかります。
敗戦後、父は豊かになることだけを求めて必死に働いていたのです。
父が、そしてこの日本という国が築いてくれた豊かさの上に立ってはじめて、私は世界を飛び回ることができました。
そのことに気付くまでに何年もかかってしまいました。

世界の問題を解決する思想

日本は世界の富の2割を占める最上流階級であり、大変な影響力をもつ巨象です。
ところが皆、自分を微力な存在だと思っています。
今世界では、子どもの半数近くが餓死しています。
この現実に向き合い、新しい価値を生み出して世界に貢献できるかが私たちの課題です。
世界が抱える大きな問題は、2つあると思っています。
1つは環境問題、そしてもう1つは人間の傲慢さです。
この2つの問題を解決する思想が、実は日本にありました。

「山川草木悉皆成仏」。
これは神道の流れを汲んだ日本仏教の思想ですが、すごい思想です。
世界中のどの宗教も、人を助けるために存在します。
ところが日本では、山も川も皆平等であり、成仏できると説いています。
世界はどこも砂漠化していますが、日本は水田をつくり、養分を蓄えた土をつくり育んできました。
自然を消費せず、育ててきたのが日本人です。

そして徳川家康公の思想です。
私は世界の国々を見てきて実感するのですが、100年続いた戦乱を終わらせることがどれほど大変なことか。
家康公は70歳を過ぎてから、6万編「南無阿弥陀仏」と写経しています。
その心中を慮るべきです。
「天下は一人の天下にあらず、天下は天下の天下なり」のとおり、私利私欲を戒めたことに真のリーダの姿をみます。

岡崎がつくる世界平和への道

こうした思想を生み出した日本、そして岡崎だからこそ、「おかざき塾」の活動は意義があります。
世界は繋がっています。
岡崎をよくすることが、日本をよくし、世界をよくします。
実際、それくらいの影響力をこの国はもっています。
だからこそ、私は岡崎のまちづくりに取り組みたい。
世界のことを考えながら、自分たちの歴史・伝統・文化を考える。
おかざき塾を通して勉強し、新しい岡崎をつくっていきたい。
世の中に、これほど一人一人の意識が高い町があるのかと言われる町にしたい。
それが私の夢です。

若い人は世界へ出て世界を知ってほしい。
同時に、この地で頑張る人もいてほしい。
それは役割の違いであって、両方の人が必要です。
生き方は多様であればいい、それぞれの生き方が繋がる時代がやってきているのです。

※ 星野昌子さん(NGO団体特別顧問)の記事はコチラ

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